“ふじのくに”
先人の偉業と先輩が築き上げてきた伝統

 

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わが歌はここに
~合唱指導者・佐藤忠夫先生の生涯 ~


2012年1月29日、掛川市生涯学習センター・ホールにて、“わが歌はここに”~佐藤忠夫先生に感謝を込めて~ と題した追悼コンサートが開かれた。

コンサートでは、冒頭に佐藤先生の合唱指導の様子が映像で紹介され、続いて先生が生前に創立した合唱団(7団体)による合唱のほか、教え子の声楽家の独唱による歌声などがホールに響きわたった。

佐藤忠夫先生は静岡県掛川市出身。享年83。

生涯にわたって合唱に情熱を傾け、音楽の素晴らしさ、合唱の魅力を伝え続けた人生。
その足跡を、先生の傍らで常に支えてこられた奥様の佐藤美穂先生(合唱指導者)と、先生が教諭時代の教え子で追悼コンサート実行委員会の落合淳子さんと佐藤久美子さんにお話を伺った。


美しい歌声と共に生きた人生

佐藤忠夫先生は、1927年(昭和2)生まれ。
先生の父は、学校の教師(掛川市教育長を4期歴任)で音楽の指導もされていたこともあり、音楽が好きな少年であった。ところが、学生時代はまさに戦時中であり、ピアノも弾けなければ、学校で西洋音楽を学ぶこともできない時代を過ごした。静岡第一師範学校から編入する形で、静岡大学教育学部に進学。在学中に音楽を学ぶ。

音楽科の教諭として最初に赴任した掛川東中学校の時から合唱指導を始め、その後、赴任した森高等学校(現・遠江総合高)から合唱部の指導にさらに熱が入っていく。
その後、磐田北高、掛川東高などで合唱部を指導。特に、掛川東高時代には、合唱コンクールにおいて数々の優秀な成績をおさめた。

また、静岡県においては、静岡県合唱連盟理事長を1975年より17年間務めたほか、掛川市では、掛川合唱連盟を設立、理事長・顧問・会長を歴任。さらに、掛川合唱団、コール・シュクレ、唱歌教室、コールSATO、コーロ・ステッラ、かけがわ第九を歌おう会などを創立し合唱を指揮、そのほか、掛川市文化協会会長を務める中、掛川市民音楽祭をはじめるなど、静岡県の合唱界をリードするだけでなく、掛川地域の芸術文化振興の開拓者として多大なる功績を残した。

現役教諭時代の先生は、「少し熱があっても、学校を休むことはなかった」と奥様の美穂先生が語る。現役教諭時代も、部活動の指導以外に地域の合唱団のレッスンが毎晩のようにあったが、一度も体調を理由に欠席したことはなかったという。「主人は誠実な人でした。合唱の指導だけでなく、進学指導など教え子のことを常に気にかけていた。」と美穂先生。その誠実で温かな先生のお人柄と、心から音楽を愛する真っ直ぐな姿勢が、生徒たちとの間に信頼を生み、深い絆が結ばれていった。


掛川東高校時代の佐藤先生

「お正月になると、元旦から生徒たちが押しかけてくるんです」と美穂先生。
元旦からとなると普通はご遠慮するところ、「みんなで行こう!と、即行動してしまいました」と当時を懐かしむ教え子の佐藤久美子さん。学校では部活の練習が終わっても、音楽室の隣にある先生のいる部屋にみんなで押しかけて、いろいろな話を遅くまで語り合ったという。その姿は、先生と生徒というより、父親と子どものような関係だったという。

「世界で一番かっこいい指揮者だと思っています」と教え子の落合さんがはっきりと語る。「先生の指揮で歌いたいってみんなが心から思うほど、本当に歌いよい指揮でした」と美穂先生。
先生は、本番のステージでも、それまでの練習とは違う指揮をいきなりするという。その日の会場の雰囲気、生徒たちの状態をみながら、その場に合わせて指揮を変えるが、生徒たちは全く動じることもなく、あたかも、一人一人が先生と見えない糸で結ばれて操られているかのように見事な合唱を織り成したという。「どんな指揮を先生が振ったとしても、少しも心配することはなかった。逆に先生がどんな風に振るのか、楽しみなくらいだった」と佐藤久美子さん。

その話を聞いて、先生は「とても怖く、カリスマ的な存在であったのでは?」と安易に想像してしまいがちであるが、実際は全く逆であるから驚きだ。

写真先生はたいへん温厚なお人柄で、指導中に声を荒らげることもなく、決して生徒を怒鳴ったり、叱ったりするようなことは無かったという。「おしつけがましくもない、グイグイと引っ張っていくのでもない」と佐藤さん。音楽的にはとても厳しい指導であったが、先生は常に丁寧な言葉を尽くして、諭すような穏やかな口調で指導したという。あからさまに人をほめることもなく、お世辞もいわない。「先生の指導を言葉で表現しようとするとすごく難しいんです」と教え子の二人は口を揃えた。 
(写真は、掛川東高時代の佐藤先生)

高いレベルの合唱を実現していくために、指導者側からは相当な忍耐がいるものと推察される。佐藤先生は、温厚なお人柄というだけでなく、そこには、深く豊かな音楽性、静かな中にも心に秘めた音楽への熱き情熱、さらに、生徒たちを我が子のごとく愛する心と教育者としての覚悟がそこになければ、おそらくこのような絆を生むことは無いのではないだろうかと感じさせられた。

落合さんと佐藤さんが現役時代の同級生22名のうち、現在も12名が合唱団に所属して歌い続けているという。先生との出会いが生んだ絆を物語る数字ではないだろうか。


かけがわ第九を歌おう会 創立への思い

掛川東高時代、「僕はいつか、掛川で第九をやりたいんだよ。」と先生は教え子たちに語っていたという。「いつか先生が第九をはじめたら、私たちもまた一緒に歌える!」と、当時から心を弾ませたと語る佐藤久美子さん。

有言実行の先生は、現役を退かれた後、既に創立していた掛川合唱団、掛川女声コーラス、コール・シュクレを中心に、1991年(平成3)にかけがわ第九を歌おう会を創立、最初の公演を行う。第九の独唱には、教え子たちが参集、先生の長年の宿願がここに実現し、途中1年を除き、毎年継続して開催され、現在に至っている。


(写真:第17回かけがわ第九を歌おう会 新春コンサート 2010.1.31)

第1回の時は、中核となった3つの合唱団のほか、合唱参加者を一般から募り、そのほか、先生が当時指導していた掛川東高の生徒たちが参加して行われたという。まさに、世代を越えて、子どもから大人まで市民が手作りで一緒に創り上げる第九合唱団の誕生であった。

そして、2012年の追悼コンサートの最後を飾ったのも、かけがわ第九を歌おう会であった。指揮は、先生の御子息で教諭の佐藤真澄先生、独唱は、第1回当時も出演した教え子たちが再び参集し、先生が創立した掛川の各合唱団メンバーに加え、今回は佐藤真澄先生が指導している遠江総合高校吹奏楽部の生徒たちが一緒に参加し“歓喜の歌”を歌い上げた。
まさに、親が切り拓いた道を子が行くが如く、第1回を再現するようなステージとなった。天国でこのステージを見守っていた先生も、生前と同じく褒め言葉は無いのかもしれないが、きっと満足の笑みを浮かべ、優しくうなずかれたのではないだろうか。


病床での最期の歌

先生は、2010年夏に容態が悪くなり、その後、入院生活を送ることになった。
病床にあっても、最後まで教え子のことを語っていた。そして、亡くなる2日前の深夜、先生は病床で突然歌い出したと、付き添っていた美穂先生。

「生徒の君たちには何もしてあげられなかった・・・。 しかし、この向こうには希望がある・・・」といった詞で、水分も自ら摂らなくなり、からだもかなり衰弱していた状態の中でも、朗々とした歌声だったという。

美穂先生が「それはいつの歌なの?」って聞くと、「いま作った」と答える先生。
心にある詞を、言葉をかみ締めながら歌った、先生の最期の歌声を、傍らで聴いたのは奥様一人であった。今もその歌が鮮明に蘇るという。

「最後まで思い出されるのは、生徒のことなんです。」と語る美穂先生の言葉を聞きながら、涙を抑えることができない教え子の二人。佐藤先生にとっては、生徒は、まさに音楽を通しての“子ども”であった。

先生は病床にあっても「人は常に謙虚でなければならない。自慢してはならない。」と美穂先生に語られたという。もともと、人前に出るようなタイプではないお人柄、生徒からは、逆に前に出して差し上げたくなるという。

先生が生涯を通じて、音楽家として、教育者として歩まれ、多くの人々が先生と出会っていった。その中で、毎日生活を共にしていた家族では、佐藤真澄先生をはじめ、3人の子どもが全員教員となった。また、教え子の生徒の中からも、教員となった人が多いという。追悼コンサート実行委員長の鶴田千鶴子さんも学校の教員であると伺った。


先生の願いを受け継いで

先生は、日本語を大事にすることをモットーにしていた。「日本語の通りに歌いなさい」と常に指導していたと落合さん。古くから歌われてきた日本の唱歌が、教科書から次々と無くなり、日本語を大切にしている歌が失われていっている現状を、先生も嘆かれていたという。

追悼コンサートのアンコール、舞台いっぱいに全出演者が一同に介して大合唱が行われた。

曲目は、世界的な作曲家・武満徹の「小さな空」。

総勢160名を越えるほどの大合唱団が、心を一つにあわせて歌った日本の名曲。
編集者である私自身も、客席で聴いていた一人であるが、この「小さな空」の合唱がとても印象的で、その後もしばらく心に残っていたことを思い出す。どうして、特に印象に残ったのか、今回お話を伺って納得できたような気がする。

先生が最も大切にされていたモットーを、教え子一人一人が心に刻みながら歌った「小さな空」の大合唱。その美しい歌声こそが、先生の生きた証そのものではないかと思わずにはいられなかった。

写真 [追悼コンサート]
 わが歌はここに
 佐藤忠夫先生に感謝を込めて
 2012年1月29日(日)
 掛川市生涯学習センター・ホール

 (出演)
 コールSATO、唱歌教室
 コーロ・ステッラ、掛川女声コーラス
 コール・シュクレ、掛川合唱団
 伊達伸子(メゾ・ソプラノ)
 榛葉昌寛(テノール)
 佐藤元洋(ピアノ)
 かけがわ第九を歌おう会

 ※以上、出演順

右は追悼コンサート・プログラムの表紙。
表紙のシルエットは、先生が実際に指揮している姿を模ったもの。


2013年1月 かけがわ第九の20周年

「僕は、いつか掛川で第九をやりたいんだよ」と現役時代に語っていた先生。

その願いが教え子たちのハーモニーによって実現し、2013年1月で20回目を迎える。
先生は以前より「20回続ければ・・・」と、掛川の地にしっかりと根付いていって、市民から愛される第九の合唱になることを心から願っていた。

今度の20周年記念コンサートを成功させることが、「今まで主人を支えてきてくださった皆様への恩返しであると共に、主人へのつとめだと思っています。」と美穂先生は語る。

また、先生からタクトを引き継いだ真澄先生は、忠夫先生直接の教え子に加えて、今回新たに掛川地域の子どもたちにも参加してもらえるように願っているという。世代を越えて一緒に歌う“歓喜の歌”を、天国の先生も楽しみにしているに違いない。

 [20回記念・新春コンサート“第九”]

 

 2013年1月19日(土) 14時開演
 掛川市生涯学習センター・ホール

 指 揮:三河正典
 管弦楽:掛川市民オーケストラ
 主 催:(財)掛川市生涯学習振興公社


今回の取材を通して、先生の功績はさることながら、先生の音楽人生によって教え子たちとの間に築いた絆の深さに心から感銘を受けた。これほどの深い絆は、なかなか築けるものではないと感じるのは、私一人ではないだろうと思う。

20回目のステージには、美穂先生はもちろん、落合さんや佐藤さんをはじめ、先生の教え子も多数出演するだろう。

先生が病床で最後に歌った歌の一節、「この向こうには希望がある・・・」が思い出される。

そして、20回目の“歓喜の歌”の舞台で、先生の教え子たちが希望を感じることができた時、先生が天国から見えない糸を使って指揮をしている瞬間かもしれない・・・。

プロフィール(生涯の記録)

写真佐藤忠夫 (さとうただお) 1927~2010

静岡県掛川市出身。
静岡大学教育学部卒業。

最初に赴任した掛川東中学校教諭時代から合唱指導を始める。
その後、森高、磐田北高、掛川東高などにて音楽科教諭を務めながら合唱部を指導。特に掛川東高時代に合唱コンクールにおいて数々の優秀な成績をおさめる。
高校教諭を退任後、常葉学園短期大学音楽科講師、掛川市教育長などを歴任。

静岡県合唱連盟理事長を1975年より17年間務めたほか、掛川合唱連盟を設立、理事長・顧問・会長を歴任。
掛川では、掛川合唱団、唱歌教室、コール・シュクレ、かけがわ第九を歌おう会、女声合唱団コールSATO、コーロ・ステッラを創立し合唱を指揮。
そのほか、掛川市文化協会会長を務める中、掛川合唱祭、掛川市民音楽祭、童謡唱歌フェスティバルをはじめる。

長年にわたる芸術文化振興への貢献に対し、静岡県教育委員会表彰、文部大臣表彰、静岡県知事表彰、掛川市有功章の表彰を受ける。

2010年、83歳8ヶ月の生涯を閉じる。

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最後に、教育の道に誠を尽くされ、美しい歌声と共に歩まれた生涯とその多大なる功績に、心より敬意を表します。そして、佐藤美穂先生、落合淳子さん、佐藤久美子さん、有難うございました。

 [取材] 2012年2月26日・佐藤先生宅(掛川市)

(取材・編集 : 桜木敬太)

Update ; 2012.8.5